めぐみの杜から~私、化学物質過敏症なんです
ごあいさつ
『自然食工房めぐみ』を2014年北九州市小倉北区魚町に開業して9年、若松区に移転して『めぐみの杜』を立ち上げて2年余りが過ぎました。海が見える高台の古民家で、化学調味料、食品添加物、砂糖を使わない食品やお弁当の販売、料理教室、レンタルスペース、ちょこっと農業をしています。*一部メーカー製造の食品に砂糖を使用しているものがあります。
食の仕事に就いたのは50代になってからです。紆余曲折ありましたが、色々な方との出会いに導かれ、天職と思える道を歩むことが出来ています。
このブログは、化学調味料や食品添加物に敏感な方、衣食住に何らかの違和感があって周囲との違いに悩んでいる方、自然な食事に興味がある方などに読んでもらえたら良いなと思って作成しました。私自身の経験、転機となった出来事、提供している食べ物の事などについて綴っています。
食は、いのちの源。地球も元気になる循環を作っていくことが私の夢です。皆さんの健やかな暮らしに、『めぐみの杜から』が少しでもお役に立てたらうれしいです。
第一章 料理を仕事に
<外食よりも手作りが好き>
子どもの時から外食が苦手で、売っている惣菜も好きではありませんでした。なんと恥ずかしいことに、私は自分で作るものが一番美味しいと思っていたんですよ(笑)自炊がしたくて、関東の大学に進学して一人暮らしをしたくらい。大きなボウルいっぱいに、サラダを作った時はうれしかった!好きなものを気兼ねなく食べられる幸せを感じました。
大学時代4年間は、イタリアンレストランでアルバイトをしていました。卒業後は飲食店に勤めようと思っていたのですが、父の強い希望で北九州市に帰郷し、特別支援学校の教員になりました。結婚してからは夫の両親、妹と同居し、子供が3人生まれて8人の大家族に。昼食は学校給食。朝食と夕食は自分で作っていました。よっぽどの事がなければ外食はしませんでしたね。
私は肉や魚をあまり食べませんが、家族は喜ぶので料理はいろいろ用意しました。当時は添加物の影響に気づいてなかったので、調味料にはこだわっていなかったですね。40代の頃までは、周囲に合わせるようにして、外で出されたものは頑張って食べていました。
<多忙と体調不良の日々をリセット>
私は若い時からずっと原因不明の体調不良を感じていて、自覚したのは大学生ぐらいの頃です。頭痛や生理痛がひどくて、仕事を始めてからも続いていました。こういう症状は不定愁訴と呼ばれ、自律神経やホルモンバランスの乱れといわれていますが、はっきりした原因や治療法はわかっていません。
仕事は人一倍頑張りたい方だったし、休みたくなかったので、痛み止めを飲んでごまかしながら乗り切ってきました。そんな生活を20年以上続けてきて40代になった時、私はこのままの生活を続けていたら長生きしないんじゃないかな、ってふと思ったんです。
息子たちは野球、娘は軟式テニス。休日は、県外遠征の送迎で早朝に出発し、遅くに帰宅する事がよくありました。頑張っている子供たちを応援したくて、自分も一生懸命でした。限界を感じたのは、娘の宮崎遠征の時。現地に到着した途端、疲れがどっと出て起き上がれなくなってしまったんです。他のお母さんたちはみんな応援しているのに、私だけ2日間ずっと寝て過ごしました。そんなことがあって危機感が募り、47歳で早期退職して、ゆっくりモードの人生にリセットすることにしました。
<47歳で早期退職、起業セミナーで学ぶ>
のんびりと自分が好きなことをやって生きていきたい。義母の介護もしたい。子どもの世話や家事もちゃんとやりたい。退職後は、今まで出来なかったことをしようと楽しみにしていました。
公務員を辞めようと決めてから3年間、凄く集中して仕事を頑張りました。3月末で退職したときは達成感があったのに、4月になったら気力が出ない・・・時間はたくさんあるのに、ボーッとしてしまって何もできないんですよ。そんな自分に気づいて、これはまずい、なんか違うんだと思いました。やりたいことを見つけようと起業セミナーに申し込みました。
迷子になった自分を探す旅は、数年続きました。起業セミナーを受けた当初は飲食業をしようと考えていたのに、なぜか自分とは真逆の華やかな業種に惹かれ、ネイル、エクステ、不動産業。大きく回り道をしたからこそ「私が一番やりたいのは料理だ。自分がおいしいと感じるものを誰かに食べてもらいたい」という思いに気づくことができました。
<求めていた味重ね煮との出会い>
紆余曲折の末、やっぱり飲食業をやろうと決めたのですが、具体的なプランはありませんでした。たまたま参加したセミナーで、重ね煮と出会わなかったら、『自然食工房めぐみ』は生れなかったと思います。
その日の昼食に出されたみそ汁を口に含んだ瞬間、
「なんだこれは!」
と衝撃を受けました。わずかな具材とみそとお湯を入れただけなのに、優しくて懐かしい味がする。あまりのおいしさに感動しました。入っていたのは、細かく切った椎茸と玉ねぎと人参、ワカメ。普通の具材なのに味の奥行きが全然違いました。
自分が求めている味を見つけた気がしてすっかり興奮してしまい、セミナーの主催者に
「これは何ですか?誰が作っているのですか?」
としつこく聞いて、重ね煮という調理法を知り、指導している長野県の戸練ミナ先生と出会うことができました。さらに戸練ミナ先生のおじさまで、岡山県で『WaRa(わら)』という宿と自然食のセミナーをしている船越康弘先生ともご縁が繋がりました。
重ね煮は、マクロビオティックの原理原則をもとに作られた調理方法です。材料を丁寧に切りそろえ、土鍋の底には上に向かう陰性のエネルギーの強いキノコ類、上の方には下に向かう陽性のエネルギーの強い根菜などを順番に重ね、鍋底と食材の上に塩を振って弱火でじっくり火を通していきます。鍋の中で陰陽の調和とエネルギーの循環が生まれ、素材の旨味が引き出されるのです。
船越先生の講習を受けたとき、当たり前のように
「料理に砂糖は使わないよ」
と言われて、またまた衝撃でした。
「甘酒で代用すれば良い」
と言われ、その場で甘酒が作れるヨーグルトメーカーを購入。このとき勢いがついて、我が家の砂糖は捨てたんですよ。義父が珈琲に入れる砂糖だけは残しましたが、あれから砂糖は料理には全く使っていません。
<理想の主食・長岡式酵素玄米>
もう一つ、食の土台となったのが長岡式酵素玄米です。広島で重ね煮の通販をしていた知人に連れて行ってもらったカフェで食べて、おいしくてすごくびっくり!モチモチしていて優しい甘みがあって、まるでおこわのようでした。子どもの頃に母が玄米を圧力鍋で炊いてくれたことがあったのですが、モソモソした食感や胃にもたれる感じが苦手で、玄米は自分に合わないと思ってずっと避けていたんです。
長岡式酵素玄米は、埼玉県にある酵素健康の会本部太陽の家の先生の講習を受けて炊けるようになります。専用の圧力鍋で手間暇かけて炊き上げ、さらに専用の保温ジャーで3日間熟成します。心を込めて正確な手順で作る事で、10日経っても腐らない玄米ご飯ができ上ります。
美味しいから私は毎日食べていますが、全然胃もたれしないし、便秘が解消されて体型もスッキリするなど、うれしい変化がたくさん起こっています。
重ね煮と長岡式酵素玄米、甘酒。この三つと出会い、自分が提供したい食事が見えてきました。そして、周囲から好評だった自家製糠漬けを加え、メニューの柱が決まりました。
<『自然食工房めぐみ』オープン>
お店の場所は郊外で探しましたが、なかなか決まりませんでした。困って商工会議所に相談したら、
「そういうお店をするなら、街なかがいいよ」
と言われて、小倉駅から近い商店街のビルを紹介されました。ちょうど改装してテナントを募っていたところで、見学したときに何となくしっくりきたんですよね。開業へ向けて急ピッチで準備を進め、2024年7月7日に『自然食工房めぐみ』をオープンしました。
当初は意図していませんでしたが、繁華街に出店したことで、沢山の人とつながることができました。近くに大きな病院があったので医療関係の方も多く、健康意識の高い方、経営者の方など、様々な方がめぐみのご飯を食べに来られました。調味料や食材などを店頭で販売していたので、買い物に立ち寄るお客さまも多かったです。
また、重ね煮や長岡式酵素玄米、マクロビオティックや薬膳、アーユルヴェーダ、50度洗いや低温スチーミングなど先生をお招きした講座や、自分でも料理教室を開催し、多くの方のご参加がありました。さらにマスコミの取材を受ける機会に恵まれるなど、ご縁が広がったのは場所の力があったからだと思います。たくさんの方々にめぐみを育てていただきました。
第二章 私たちは危険を知らせるカナリア
<映画カナリアからのメッセージ>
店舗オープンから5年目の2019年。私の意識が劇的に変わる出来事がありました。きっかけは、「カナリアからのメッセージ~化学物質過敏症のない未来へ~」という映画です。シャボン玉石けん株式会社が自主制作した25分の短編ドキュメンタリーで、化学物質過敏症に苦しんでいる人や医師のインタビューをを収録した内容です。シャボン玉石けんの商品はめぐみでも扱っていたので、森田社長やオオタヴィン監督の舞台挨拶もあると聞いて、知人のイベントに参加するような軽い気持ちで昭和館の上映会に行きました。
カナリアは空気の変化に敏感で、異変があるとさえずりを止めます。かつて炭鉱では、石炭を採掘する際に鳥かごのカナリヤを持ち込み、有毒ガスの危険をいち早く察知していたそうです。映画では、化学物質に敏感な人たちをカナリアになぞらえて、生の声を通して深刻な状況を伝え、未来に向けたメッセージを発信していました。洗剤、香水、食品などに含まれる化学物質が人体に及ぼす影響は、予想以上にひどいものでした。
映像に深く引き込まれ、観た後には次々と小さい頃の記憶がよみがえってきました。封印していた記憶の蓋が開き、フラッシュバックが起こるような不思議な体験でした。
<記憶の扉が開いて>
5歳のとき、お客様が持ってきたお菓子を
「いらん」
と言い、
「そんなこと絶対に言ったらいけんよ!お客様のお土産は、何でもありがたくいただきなさい。」
と、母からめちゃくちゃ怒られた場面が鮮明に浮かびました。私は苦手な食べ物が多く、特に砂糖が入った甘いものを食べると頭が痛くなり、添加物が入ったものは芽の上が熱くなって不快だったのです。学校でも先生から
「給食をのこしちゃいけません」
と、厳しく言われた事も思い出しました。
母も先生も私の事を大事に思って、人に感謝できる子になってほしい、健康で元気な子になってほしいという気持ちで言ってくれたことです。母や先生から認められたくて、何でも食べなくちゃいけないと思ったのでした。
小学校のバス遠足では、お菓子の匂いでいつも気分が悪くなり、苺チョコを食べて吐いてしまったこともありました。胃腸が弱い要注意人物と思われ、バスの席はいつも先生の隣。ものすごいコンプレックスでした。
食べ物だけではありません。子どもの頃から、ポリエステルの服を着ると痒くなって、母が買ってくれたた華やかな服が着られませんでした。ぬいぐるみを可愛いと思えず、触る事に抵抗感がありました。プレゼントを貰うのも苦手で、使えない物を捨てる事も出来ませんでした。結婚して夫の両親と同居したときは、どうしても入浴剤入りのお風呂に入れませんでした。
人が勧めてくれるもの、みんなが好きなものが私は苦手で、ずっとどこかで引け目を感じ、申し訳ない気持ちもあって無意識に封印していたんだと思います。
<カナリアとしての役目>
私の性格が悪くて嫌いなものが多かったのではなく、「おいしくない」「触れかくない」というセンサーで化学物質に反応していたんだ。私もカナリアなんだと気づいたら、様々な出来事が腑に落ち、気持ちがスーッと楽になりました。みんなよりちょっと早く危険を察知して知らせる役目だったんだな、と自分の存在価値を認められるようになったのです。
当時、お店は軌道に乗っていたものの、実は心の中に何とも言えないモヤモヤが募っていました。私がおいしいと思う食事を出しているだけなのに、お客様から「体に良いもの」とか「健康食品」と言われることに違和感があって、、、。食事をサプリメントのように見られるのが、嫌だったんです。でも、自分を受け入れたら、人もそれぞれで良いと思えて、解釈の違いも気にならなくなりました。
化学物質は人の体にいろんなサインを出し、それをキャッチする人としない人がいます。敏感な人は、わずかな量でも病気になるかもしれないし、今は平気な人でも、蓄積していけば症状が出るかもしれない。この仕事をちゃんと続け、必要としている人に届けていこう。
私がこの食事を伝える意味を見つけ、地に足がつきました。
第三章 天地とつながる食作り
<コロナ禍の転機>
映画を観て自分の意識が変わり、オオタヴィン監督ご夫妻と交流するようになったり、化学物質に敏感なお客様と何人も出会ったり、新しいご縁が増えてきました。心の霧も晴れて、「いよいよこれからだ!」と思っていた矢先、新型コロナウイルスが発生。2020年4月には緊急事態宣言が出て、飲食を休まざるを得なくなりました。
その時湧いてきたのは、「もうこの場所は卒業かな」という気持ちです。コロナをきっかけに生活インフラを意識し、自分で食べ物を育てて備蓄できる農業にも興味を持つようになりました。街なかのお店はバックヤードが狭いので倉庫を借りたり、講座のときには他のキッチンを借りたり、家賃以外に駐車場代も結構かかっていたこともあり、転機だと感じました。
「土のあるところに帰りたい。郊外の古民家のような場所に移ろう」
と決めたのです。
2年程移転先を探しましたが良い場所が見つからず、諦めかけていたときに思いがけない物件と巡り合いました。地元の若松区で、自宅付近の古民家が売りに出されていたのです。建物も庭も広々していて風情があり、洞海湾が見渡せる抜群の眺め。理想を絵にかいたような場所でした。資金面の不安はありましたが、難しいと言われた融資が奇跡的に通り、喜びと同時に身が引き締まる思いがしました。
<古民家に移転、『めぐみの杜』誕生>
2022年10月、都市部から郊外に場所移転し、『めぐみの杜』に名前を変えてリニューアルオープンしました。
◎開店は金・土・日・月曜日の10時~17時まで。
◎手作りみそや長岡式酵素玄米や総菜や弁当、私がセレクトした食材や、栽培期間中農薬不使用の野菜、シャボン玉石けんや生活雑貨などの販売や、予約制でランチをお出ししています。
◎めぐみクッキングスクールの開講、ワンディの料理教室や味噌など発酵食のワークショップを開催しレシピだけでなく食に対する考え方も皆さんと一緒に学んでいます。
◎長岡式酵素玄米の講習会は、本部の先生が来られて年3回開催しています。
◎レンタルスペースとして、のご利用も可能です。
同時期に近所にある実家を改修し、『めぐみの里』と名付け総菜製造業とみそ製造販売の許可を取り、長岡式酵素玄米とみそと重ね煮の通信販売を始め、遠くの方へもめぐみのお食事をお届けできるようになりました。長岡式酵素玄米ストア
めぐみが目指しているのは、地球と共生する暮らし。若松に来て一番やりたかったのが畑仕事です。まずは私自身の為に講師を招き、庭で野菜作りのワークショップをしています。少しずつですが、無農薬・無肥料の野菜が育っています。参加して下さる方や、農家の方とのつながりも増えてきました。季節の野菜を漬け物にしたり、干して保存食にしたり。お客様と一緒に手仕事のある暮らしを楽しんでいます。
一軒家ならではの広いスペースやリラックスできる雰囲気を生かして、これからはヨガやヒーリング、お話会や各種ワークショップなどイベントもたくさん開催したいです。和やかに人が集える場つくりをしていきたいですね。
<広がるご縁、新たな出会い>
『めぐみの杜』がスタートして1年余り。以前からのお客さまも、新しいお客さまも来て下さっています。皆さんの声を聞くと、「自分や家族が病気になって食を見直したいと思ったときに、ここを見つけました。」という方も結構来られています。
お客さまの声を紹介させていただきますね。
Aさんは、40代の男性。小学生のときは給食を時間内に食べられず、食後は眠くなって頭がボーッとして、いつも先生や親に怒られて友人もいなかったそうです。大人になってから、小麦アレルギーだとわかり、今は気をつけて対処されていますが、子どもの頃から抱えてきたつらさを話してくれました。
Bさんは、5才の子どものお母さん。離乳食が始まってからお子さんの湿疹と咳がひどくなり、夜中に痒くて泣くこともしばしば。病院の検査で合わない食材がわかり、料理のレパートリーを増やすためにクッキングスクールに通って来られました。重ね煮を取り入れて野菜中心の食事に変えてからアレルギー症状が落ち着き、肌もきれいになったそうです。私もお子さんの症状を見てきたので、元気になって本当に良かったと思っています。
<自分の心と身体の声を聴く>
私自身、自分の体がどこかおかしいなと思っても、その原因が食べ物や化学物質にあるとは50年以上も気づいていませんでした。頭痛がしたり、何となく胃がムカムカしたり、ちょっと痒くなったり、疲れやすかったり。それは身体が教えてくれたサインだったんですね。原因がわかってからは、自分の感性を信じられるようになり、とても生きやすくなりました。
そんな私でも、恥ずかしながら自分の子どもに
「何でも食べなさい」
と言っていたことがあります。娘はキノコの中で椎茸だけが食べられません。後からアレルギーがある事を知って納得したのですが、わが子のことは冷静に見れなくなってしまうんですよね。夫は添加物が入った食べ物も好きで、病気になるわけでもなく、肉も魚もよく食べます。価値観は多様だし、体質も人それぞれ。みんな違ってみんな良いのですね。
大事なのは、自分の声をよく聴く事。心と身体が喜ぶ方法は、自分自身が一番知っているのだと思います。一人では気づけなくても、共振する場や人との出会いが、心の声に導いてくれるのではないでしょうか?
『めぐみの杜』が、皆さんの健やかな暮らしに役立つ場になれたらうれしいです。ぜひお気軽に遊びにいらしてください。